古くは「日枝」「比叡」と書き「ヒエ」呼ばれていましたが、平安時代頃より「エ」の文字を
縁起の良い「吉」に替えるようになり、「ヒヨシ」という訓みも生まれ両方の名称が使われました。
鎌倉時代以降は「日吉社」と表記するのが一般的となり、明治時代に至っては「日吉神社(ヒエジンジャ)」が公称となりました。
終戦後、社格制度の廃止でそれまでの「官幣大社」がなくなり全国各地の分霊社と混同してしまう恐れが生じ、また総本宮であることから「神社」を「大社」と改め、訓みもより親しみのある「ヒヨシ」としました。
今日に至るまで「日吉大社(ヒヨシタイシャ)」と公称しております。
全国三千八百社の分霊社は、「日枝」「日吉」「山王」「八王子」「樹下」やその土地の名前など様々な社号が使われています。
是非一度お近くの分霊社をお探しいただき、郷土史を紐解いてみてはいかがでしょうか。
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